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琵琶湖疎水

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先日、大津に行ったとき三井寺も立ち寄りました。そこで思いがけず琵琶湖疎水の琵琶湖側の大本に出会いました。

上の写真から少し下ったところに水門がありましたが、ここですね。滋賀県民が京都県民に対して「琵琶湖の水止めたろか」と言う時、具体的にはこの水門を閉じることを指すんですね(後でわかりましたが、実際には第2疎水というものがあるんですね)。

下の写真は水門から少し下流で下流方向を撮ったものです。奥に扉が見えますがこの後、長等山を越えるためトンネルに入ります。

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下はトンネル入口部分のアップです。地図で追うと、この後山科に抜けて、2回トンネルを挟んで以前に記事にしたねじりまんぼのあたりに至ります。

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大体、琵琶湖疎水として関知していたのはそのインクラインから岡崎のあたりまでだったのですが、

先日、京都は深草のあたりを歩いていたとき、京阪電車と併走する疎水の流れを見つけました。また別の日ですが東福寺の北のあたりで鴨川横を併走する疎水を見つけました。

地図を確認するとこのあたりで地上に出て、ずっと南下して宇治川に流れ込んでいるんですね。てっきり僕は岡崎のあたりで鴨川に合流しているものと思っていました(実際には宇治川に至る前に何カ所か鴨川へも放流している箇所があるようです)。機会があればこのあたりも歩いてみたい。


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by O-noli | 2017-06-23 16:47 | 旅の空間
かわら舗装
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以前に近江八幡を訪れた際に立ち寄ったかわらミュージアムの外構舗装です。山田脩二によるものだったと記憶していたのですが、裏がとれません。

写真ではよく見ていたのに実物に接するのはまた新鮮な経験でした。まち歩きに忙しく夕方になってしまったため、入館はかないませんでした。
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by O-noli | 2008-12-04 09:03 | detail
近江八幡の都市計画
以前、滋賀県立近代美術館でのヴォーリズ展を観に行った折、近江八幡まで足を伸ばしてヴォーリズ行脚をしてきました。
ヴォーリズの建築がまとめてみれるから訪れたのですが、まち自体非常におもしろいものでした。

近江八幡といえば商人の町ですが、その発展は豊臣秀次が八幡山に八幡山城を築き城下町として整備されてからとされています。
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秀次はお隣の安土で施行されていた楽市楽座をここでも取り入れます。さらに八幡山裾、八幡山城の堀を運河として活用し琵琶湖からの船を寄港させました。そのお堀が現在八幡堀として整備されています。
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こうした商業振興施策のほか都市計画的施策の痕跡も残っています。通りに面する町屋が背と背を合わせる部分には「背割り排水」「背割りの溝」と呼ばれる水路が通り、八幡堀につながっています。

この「背割り排水」による排水設備と竹管を使った古式水道が整備されていたそうです。

以上が現地立て看板やパンフレットで情報収集したもの。以下は吉田桂二「町並み・家並み事典」参照。

町屋には特に目立つ特徴はなく、品の良い京風といった感じですが特筆すべきは表庭です。町屋は平入りですが、間口一杯に建家を建てず一部表庭を設けます。表庭の通り側は建家外壁ラインで高塀を建てています。
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通りから町並みとして眺めたとき、建家と表庭が交互に繰り返されるのがわかります。そして表庭に植えられた松の木がにょっきり顔を出します。建家には特徴なくとも町並みとして非常に個性的で美しいものとなっています。
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経済力があるからこそ間口一杯に建てずにこうしたゆとりの空間がとれるのでしょうが、これが徹底して統制されているのがスゴイ。どこにもそんな記述はありませんがこれも秀次による都市計画、デザインコードだったのではないかと考えてしまいます。
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by O-noli | 2008-09-23 11:44 | 旅の空間

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