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近江八幡の都市計画
以前、滋賀県立近代美術館でのヴォーリズ展を観に行った折、近江八幡まで足を伸ばしてヴォーリズ行脚をしてきました。
ヴォーリズの建築がまとめてみれるから訪れたのですが、まち自体非常におもしろいものでした。

近江八幡といえば商人の町ですが、その発展は豊臣秀次が八幡山に八幡山城を築き城下町として整備されてからとされています。
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秀次はお隣の安土で施行されていた楽市楽座をここでも取り入れます。さらに八幡山裾、八幡山城の堀を運河として活用し琵琶湖からの船を寄港させました。そのお堀が現在八幡堀として整備されています。
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こうした商業振興施策のほか都市計画的施策の痕跡も残っています。通りに面する町屋が背と背を合わせる部分には「背割り排水」「背割りの溝」と呼ばれる水路が通り、八幡堀につながっています。

この「背割り排水」による排水設備と竹管を使った古式水道が整備されていたそうです。

以上が現地立て看板やパンフレットで情報収集したもの。以下は吉田桂二「町並み・家並み事典」参照。

町屋には特に目立つ特徴はなく、品の良い京風といった感じですが特筆すべきは表庭です。町屋は平入りですが、間口一杯に建家を建てず一部表庭を設けます。表庭の通り側は建家外壁ラインで高塀を建てています。
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通りから町並みとして眺めたとき、建家と表庭が交互に繰り返されるのがわかります。そして表庭に植えられた松の木がにょっきり顔を出します。建家には特徴なくとも町並みとして非常に個性的で美しいものとなっています。
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経済力があるからこそ間口一杯に建てずにこうしたゆとりの空間がとれるのでしょうが、これが徹底して統制されているのがスゴイ。どこにもそんな記述はありませんがこれも秀次による都市計画、デザインコードだったのではないかと考えてしまいます。
by O-noli | 2008-09-23 11:44 | 旅の空間

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