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建築家の本来の役割
医師、弁護士、代議士などと並んで「せんせい」と呼ばれ、一面では陶芸家、美術家などと同様、芸術家でもある。そんなイメージが建築家という言葉にはまとわりつきます。

なぜそんなことになったのかは本文の主題ではありません(それについても一度きちんと考えたい)。ただ建築生産システムの中で、特権的な力を与えられているのは確かなことで、そこはシステムをうまく回すために一面では役に立っていると言えます。建築家とは、建築士であり設計者であります。

その特権とは、建築の設計・監理を独占的に行うことができることです。建築基準法は建物単体での安全、また周囲との関係といった観点から最低ラインの基準を規定しています。
これを満たす建築のみ建てることができるよう、特定の人間だけに設計業務をすることを許しているわけです。

この建築生産システムが確立する以前(家づくりを前提にするなら)、出入りの大工に必要な大きさの諸室を告げれば、自動的に建築できてしまう木割術という秘伝・口伝の規格がありました。
図面は棟梁の頭の中というのが当たり前で、設計という言葉すらなかったのではないでしょうか。
現代において、設計という業務が施工に付随するおまけ程度に認識されがちなのはここに端を発する。

つまりその時代(近世くらいでしょうか)の建築の品質は個々の大工の手に委ねられていたわけです。その時代はまた地域ごとに緩やかにせよ決まった大工がいて、ある程度の棲み分けができていました。今の工務店みたいに近畿一円とかそんなではなく、せいぜい町単位でやっている感じです。

そうすると、悪い噂がたてば瞬時に仕事できなくなるのは目に見えているので、まあいいかげんな仕事はできません。いわば、施工者と施主の利益は一致していたのです。
地場立脚が維持されているなら、設計・施工一貫のゼネコン型が最も信頼できる建築生産のあり方だったでしょう。

しかし、本来施工者の利益と施主の利益は相反するものです。表面的に致命的な欠陥がない限り、施主が気付かない程度に手を抜くことは自らの利益になるのですから。

近代化、地域社会の解体を経て地域にいろんな業者が参入する自由競争の時代が始まるとなると状況は一変します。品質を維持するだけでは生き残っていけなくなるのです。品質の維持=コストがかかりますが、そのままコストオンしていては競争に勝てません。

ここから施主の利益と施工者の利益の方向性がずれていきます。品質の維持という時の品質は文字通りの品質ではなく欠陥ではない程度の品質という意味合いにスライドしていき、欠陥でない程度の品質というのは個々の業者によっていかようにも解釈され位置づけられることになります。

そんな状態の業界に建築基準法を持ってきても実効力がある訳がなく、第三者的な立場の人間を投入せざるを得ないわけです。

それが建築士ということになり、この人間が施主に雇われて、法に則って設計し、設計通りに施工できているか監理することで品質を保つわけです。第三者である建築士があくまで施主に雇われているなら、建築士の利益=施主の利益でいられます(それは建築士法などに縛られてもいます)。

ところが、建築士が施工者からなんらか利益享受する立場にあったらどうでしょう?
せっかくの建築生産システムも機能しません。
公共工事がずっと形だけでも設計・施工分離としていたのはこのシステムの建前があったからです。

施主、施工者、設計者が独立し、その3者が対等に三角形を結ぶ形で位置する関係が正常な形であり、また日本の建築生産システムが前提としている状態です。
設計者が存在する意味合いを正しく理解すれば、建て売りやメーカー住宅ほか、いろんな形で販売される住宅のそれぞれのキャラクターを見定めるひとつの切り口が見えてくるのではないでしょうか。
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by O-noli | 2007-03-19 00:05 | column

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