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近時のライトアップ
今は年末シーズンほどではありませんが、近頃のまちの電飾の洪水には辟易します。以前よりあるライトアップという体裁の照明ではなく、光自身の演出でイベント化するものです。

脱線しますが、ライトアップとは演出する対象あってのライトアップです。光自身が主張するような電飾の仕方にライトアップという言葉を使うのはどうかと思います。

神戸ルミナリエのことを言っているのではありません。ルミナリエは光の彫刻と謳い、光が形態をつくりそれ自体が主張し、またショーとして充分練られていると思います(明るすぎるので、僕はあまり好きではありませんが)。

批判はルミナリエの成功を追うように各地でなされるイルミネーション系のイベントに向けられています。(具体的な名称は挙げませんが)それらはイベントとして過渡期にあたるのかもしれませんが、未熟で品のない光をまき散らしているだけのように思います。

谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を持ち出すまでもなく、陰があっての光です。ただ光があれば、明るければいいというものではありません。
光に呑み込まれるような圧倒的な体験をしたことがありますが、それとて闇との対比の中で光を触知させる淡い光です(ジェームズ・タレルの一連の作品)。

上に品がないと評しましたが、正直ネオン街の光の方がまだいい照明だと思います。なぜなら光に溢れていても闇と隣り合い、光の切れ目があるからです。

というようなことはおぼろに思いながらも文章化するつもりはありませんでしたが、家内が言った一言で考えさせられてしまいました。

「もったいない。電気の無駄や。そんなイベントやめたら原発つくらんでもええんちゃうん」
だけど、彼女はルミナリエは一度見に行ってみたいと思っている普通の女性です。



京都の近鉄百貨店(設計:渡辺節)が今月一杯で閉店して、ヨドバシカメラに建物が売り払われます。読売会館のビックカメラの例もあり、閉店前に見に行っておきたい気持ちで揺れています。ここのところ天気も不安定で思い切って腰を上げることも出来ず。あーー、集中、集中。
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by O-noli | 2007-02-15 23:20 | thoughts

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