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未完であることの意味(2)
『徒然草』、第八十二段の後半に
「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」とあります。

この段の前半で破損した巻物や不揃いな書物を興趣ありとして賛美している。後半で言わんとするのは未完成であるが故、まだどのようにでも完成できる未来があり、その状態こそおもしろいとする価値観です。

カスタマイズの余地ということについては、僕は実用上の面から提案しているものですが兼好法師はどちらかと言えば美的感覚として記しているように読めます。

特に前半はさび(寂び)の美学を示しているようですし、上に引用した後半部分においても、完成してしまうと後がないので、未完成にしておくのが(創作物が?)生き延びる術だとするなど創作者の視点で書いているように思われます。

いずれにせよ、完成しきったものを好むのはセンスがないと言っているのは確かで、日常生活を営む住宅を設計する立場の自分にとっては、特に的を射たものだと思う。

「住宅は竣工した時が完成ではなく、人が暮らして時を経ることで完成へ向けて育っていく」よくそういう事を語る設計者がいますが、前回から書いてきた意味合いの中で僕もまったく同感です。

別に気取っているわけでもなく、大袈裟に言うのでもなく間違いなくその通りだと思います。

ただ「未完である」というコンセプトが美的に昇華されているか?と言えばまだまだで、まだまだ学ぶべき事の多い今日この頃。
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by O-noli | 2006-12-21 09:12 | 家について考える

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