2006年 07月 05日
よもやま住所表記(3)
京都の住所表記を眺めると通りが基準になっているので、通りへの帰属意識を考えがちですが、どうもそう単純ではないようです。なぜなら、通りが長すぎて、通りの一端と他端とで同じ場所への帰属意識を持っているとは考えがたいからです。
さらに指示される交差点の角地でない限り、二つある通りの内の片方にしか面していません。また、一部の通り名はその通りがどこかで貫通する街区の町の名前が冠されているにすぎない。 そんなことを考え合わせると、特殊な場合を除けば、住所に表記される通り名は単純に近所の交差点を指し示す以上のものではないと考えられる。 今回つらつら京都の地図を眺めていて気が付きました。町名がびっしり記されています。なんでびっしりなのかというと、町割りが細かい。一つの街区、東西約60m×南北約120mを最低背割りで2つの町に。場所によって南北に面して3つか4つに割られています。 これ、どういうことかというと、向かい合う2または4街区の中の同じ通りに面している家屋だけで町の単位ができているんです。 町名というdistrictに準拠しつつ、同じstreetに面することを条件として境界線がひかれている。 なぜこんなことになっているか、その歴史は前掲の『空間の日本文化』ほかで詳しく述べられています。 なにしろ町域がコンパクトなので、場所の具体的イメージも共有しやすく、みなが日常利用する街路もイメージ共有しているわけで場所を介したコミュニティ形成には好都合な単位ではないでしょうか。 日本的district方式でもここまでやれば一皮むけたような印象ですね。しかも西欧的street方式もきっちり利用しています。でも現実問題、それだけの数の町名の中から目的地を探すのは無理です。そこで直行交差点からの方角で表記する方式が編み出され、定着したというのが実際のところではないでしょうか。 前回、お門違いにもあらぬことで役所を皮肉りましたが、実はこの町名を正式住所として残していることを賞賛しなければなりません。
by O-noli
| 2006-07-05 08:37
| thoughts
Copyright (c)[factory]/ All rights reserved. |
by [factory]
LINKS
カテゴリ
旅の空間 建築探訪 art texture detail thoughts topics 身の回りのカタチ 家について考える works[architecture] works[furniture] works[art] column monologue フォロー中のブログ
ライフログ
以前の記事
2017年 09月 2017年 06月 2015年 10月 2015年 05月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 03月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 03月 2010年 02月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 05月 2009年 03月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 05月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|