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よもやま住所表記(3)
京都の住所表記を眺めると通りが基準になっているので、通りへの帰属意識を考えがちですが、どうもそう単純ではないようです。なぜなら、通りが長すぎて、通りの一端と他端とで同じ場所への帰属意識を持っているとは考えがたいからです。

さらに指示される交差点の角地でない限り、二つある通りの内の片方にしか面していません。また、一部の通り名はその通りがどこかで貫通する街区の町の名前が冠されているにすぎない。
そんなことを考え合わせると、特殊な場合を除けば、住所に表記される通り名は単純に近所の交差点を指し示す以上のものではないと考えられる。

今回つらつら京都の地図を眺めていて気が付きました。町名がびっしり記されています。なんでびっしりなのかというと、町割りが細かい。一つの街区、東西約60m×南北約120mを最低背割りで2つの町に。場所によって南北に面して3つか4つに割られています。
よもやま住所表記(3)_e0080571_8391139.jpg
これ、どういうことかというと、向かい合う2または4街区の中の同じ通りに面している家屋だけで町の単位ができているんです。

町名というdistrictに準拠しつつ、同じstreetに面することを条件として境界線がひかれている。

なぜこんなことになっているか、その歴史は前掲の『空間の日本文化』ほかで詳しく述べられています。

なにしろ町域がコンパクトなので、場所の具体的イメージも共有しやすく、みなが日常利用する街路もイメージ共有しているわけで場所を介したコミュニティ形成には好都合な単位ではないでしょうか。

日本的district方式でもここまでやれば一皮むけたような印象ですね。しかも西欧的street方式もきっちり利用しています。でも現実問題、それだけの数の町名の中から目的地を探すのは無理です。そこで直行交差点からの方角で表記する方式が編み出され、定着したというのが実際のところではないでしょうか。

前回、お門違いにもあらぬことで役所を皮肉りましたが、実はこの町名を正式住所として残していることを賞賛しなければなりません。
by O-noli | 2006-07-05 08:37 | thoughts

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