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記紀神話の神々を巡る
先日、以前から見てみたいと思っていた大神(おおみわ)神社へ参拝してきました。ここは三輪山をご神体とし、本殿を設けず拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの形式を現在も留めています。
記紀によると大国主神(おおくにぬしのかみ)が国造りの過程で、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の名で自らの魂を三輪山に鎮めたとされている。
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その後、大美和の社展望台から大和三山を眺めながらふと思い立って、予備知識も何もなく橿原神宮に立ち寄る。ここに初代天皇の神武天皇の宮があったとされ、神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られている。
せっかくなので畝傍山の周辺の天皇陵を見て回る。近辺には初代神武天皇から4代懿徳(いとく)天皇までの陵墓がありましたが、やはり神武天皇のものが相当立派に整備されていました。
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ところでこの古代の天皇の系譜は天照大御神(あまてらすおおみかみ)を始祖として、記紀に記された神の系譜です。橿原神宮に神武天皇と一緒に祀られる皇后は三輪山の大物主大神の娘とされる。要するに日向からやってきた天津神系であるところの神武天皇が大和を征服し、支配することの体裁を整えるために、国津神の娘をめとり国津神の系譜にのっかる形をとったということです。

一方、注記しておかなければならないのは、橿原神宮が明治23年に官幣大社として創建されたということです。明治政府は現人神としての天皇の出自を確固としたものとするため、様々な施策を施していました。記紀の記述は必ずしも史実に基づいたものではありません。神武天皇をはじめとする古代天皇の系譜も歴史として認められてはいない。畝傍橿原宮や陵墓の場所も特定できるほどの史料が残っているわけでもない。
そんな雲をつかむようなあやふやなものをリアルな存在に定着させるために、橿原神宮はつくられ、近辺の陵墓は特定されたといえるでしょう。それは捏造ではないまでも、間違った歴史を定着させる行為ではあり得る。

と批判めいたことを書いていますが、戦後は、当時のような思想統制的なしばりはないのでそう目くじらを立てるほどのことではないでしょう。そもそも天津神や国津神が地母神と一体的に祀られる形での信仰においても事の真偽はさほど重要なのではなく、物神信仰の如く古代からの文化が失われることなく残っていることが重要だと思うからです。

問題はそういった大きな歴史(天皇の系譜)を整備して、国家神道を管理していく陰で葬り去られた小さな歴史があったということで、それらは根っこのとこで同根なんですね。今更それを指摘してどうなるわけでもありませんが、残念なことです。
(つづく)
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by O-noli | 2012-06-12 15:53 | 旅の空間

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